何もかも、今に始まったことじゃない。

ウルトラマン好き。めっちゃ好き。

俺たちは、一歩も退かない!#EX『劇場版ニュージェネクライマックス』

感想書くわ。

 

どうしても好きなので。

 

『劇場版ウルトラマンタイガ ニュージェネクライマックス』

f:id:guren_ex:20200808231911j:plain

収斂する正義、僕らはずっと待っていた。

ストーリーは書かないつもりだけど未見の人は推奨しない。漠然とした単語の中に貴方を傷つける言葉がないという保証はできないからね。冗長上等。それっぽい言の葉で気持ちよくなりたい人にオススメします。俺がそういうタイプ。

 

前に書いた記事でタイガのテーマを『再会』と『自覚』であると解釈したことがある。

読んだことある? ない? なら読みなよ。

 

guren-ex.hatenablog.com

 この記事凄く面白い。誰が書いたんだろう。

 

まあそんなことはどうだっていいんだ。

『再会』と『自覚』だ。

この映画でもそれは一貫していたんじゃないだろうか。

トレギアはタロウと再会した。

ニュージェネメンバーも激戦の後に再会する。

俺が言いたいことを単刀直入に、実に淡々と、滑稽なほど単調にいこう。

 

トライスクワッドは再会への道を歩み出した。

 

これも前に書いたのかもしれないが、再会には一度の別離が必要である。これは論ずるまでもないだろう。だからつまりはそういうことである。これは終わりの物語などではない。語感で言えばクライマックスというとラストを意味する言葉にも思えるが、その実際の意味は『最高潮』である。この後に緩やかなエンディングがあるかもしれない。オチのない漫才が続くかもしれない。だが、最高潮は、今現在の最高潮に過ぎないということをご理解願いたい。今はあの物語がタイガにとってのクライマックスであっても、明日それが変わらず顕在しているなんて誰が証明できるんだ? 物語は終わらない。トライスクワッドは事実上の分解を迎えた。工藤ヒロユキもまたトライスクワッドの一員であるからだ。そしてそれはいつか果たされる再結成への布石。離れていても心はひとつ。は? ニュージェネクライマックス見なよ、ヒロユキは12年以上一緒にいてもわからないことがあると『自覚』していたのだから。綺麗事だけではしょーもないという残酷ながら美しい世界を描いた『ウルトラマンタイガ』では夕陽を前にオデッサは散るし、カナを庇ってミードは倒れるし、寿命でヒロユキは死ぬ。救いがないと嘆きますか? ならきっと、それはフィクションを信じ切れていない何よりの証明だろう。トライスクワッドはまたいつか再会するのである。それはいつかわからない。誰かが欠けているかもしれない。誰かが増えているかもしれない。それでも工藤ヒロユキを、E.G.I.S.を忘れられない可愛らしい巨人たちは会いに来るのだ。生まれた星は違うだろう。思想も信仰も違う。言葉の意味も、重みも、価値さえも。だが、共に向かう場所が同じならどうだろう。同じ仲間に出会えたならどうだろう。この広い世界の中でそんな尊き仲間に出会うということは、まるで無数に存在する星々が結ばれて星座となるような、そんな奇跡と言えるんじゃないのか。永遠の絆と共に、そう言い切ったのがトライスクワッドだというのなら、俺はその奇跡を信じたい。

力が戻っても言い出せなかったのは怠慢だったと思いますか。ヒロユキに黙っていたのは嫌悪があったからですか。そこには愛があった。永遠に変わることのない、諸行無常さえ超越する愛がそこにあった。3人のウルトラマンは文字通り燃え上がったのだ、最強にして最高の仲間と共に。

f:id:guren_ex:20200808232241j:plain

三人同時の登場、かなりグっときた。

トレギアの話、しようかな。

ウルトラマントレギアの口から洩れた真相はたった一つ、酷く質素で簡単な物だった。

 

「タロウの言う光を理解するために闇に堕ちた」

 

超不器用やんな。ここから考えてみようか。なんでタロウを闇に突き落とした?

 

「タロウにも闇を理解してもらいたかった」

 

若しくは

 

「タロウに自分を理解してもらいたかった」

 

クソ哀れ。タロウの信じていた『光』をどうしても理解できなかった彼は、そのままではいられなかった。狂った好奇心は猫どころか巨人を殺し、『光』を理解するために対極に存在する『闇』を知ろうとした。俺から言わせてみれば彼は闇さえも理解できていない。ポエミーなトレギアが哲学家タイプのキャラクターであることは彼の人となりを見てきたみなさんなら当然知っていることだろう。彼は頭の中で理屈をこねくり回して真実を求める…………ということをとうの昔に放棄してしまっているのである。劇場版R/Bやタイガに登場した時点で哲学とは程遠い場所にいた。最初は確かによく考えていたのだろう。だけど、流動する世界の中で考えることを止めてしまうことは愚かであると言わざるを得ない。切望した真実は常に形を変えるのだから。それは光とか闇も同じ。ジードは闇の力を使うけど正義の味方だし、ババルウ星人ババリューは暗黒星雲の生まれながら子供たちを守るために戦った。トレギアは考え続ければよかったのだ。タロウが光を信じていたのは、その言葉の意味が属性的なことを表現しているのではなく、概念として、暖かい『善』としての光を見ていたからである。属性的な光と闇を調べるならそりゃ理系がいいんでしょうけどそもそも筋違いじゃんね。弱々しい声でタロウに縋りついたトレギアは、光の国にいられなくなるほど理解不能な光を嫌悪して、それでもタロウと一緒にいたかったのだ。大切な友達だから。

言うまでもないが、タロウにとってのトレギアは『多数いる友達の中の一人』でありトレギアにとってのタロウは『唯一の友にして親友』なのである。

それって哀れなことに見える? 俺には見えない。別にいいじゃんね。悲しく見えるのは第三者とそれを自覚してしまったときのトレギア本人だけだ。トレギアはもしかしたらタロウが追ってきてくれると思って光の国を離れたのかもしれない。でもそんなことはなかった。餌になり得たのは息子であるタイガだった。それもタイガというネーミングには覚えがある。だって自分が提案したのだから!! こっちの方がよっぽど悲劇だわ。俺だったら耐えられない。というかトレギアも耐えられなくてこうなっているわけだ。グリムドなんていうのは手段に過ぎなかった。タロウを闇に引き込むための手段。タロウもタイガもトレギアの固まった思考には負けなかったんだけどね。返事しないタロウとお喋りしててもそんなに楽しくなさそうだったし。友達でいるために媚びろってわけじゃないよ。無償の愛で互いを助けられたら、それはきっと素敵な友達だ。実はそれがトライスクワッド、なんだけどさ。作品全体を通して描かれた最大の二項対立、味わい深くて偉大だ。トレギアが自分の感情にどれだけ正直であったのか、俺にはわからないのだけれど、もしこの映画の中で『自覚』したのであればそれは実にドラマティックであると思う。ベリアルにはない魅力を彼は確かにもっている。少なくとも俺は大好きだよ。

f:id:guren_ex:20200808234144p:plain

ここのトレギア楽しそうだった。

ニュージェネメンバーの話。みんなかっこよかったぁ。

大空大地を見たのがなんだか久しぶりで嬉しかった。凄く頼りになるね。ヒカルとショウの二人はただただ圧がヤバい。勝てる気がしない。リクと湊兄弟は相変わらずだしなんか友達みたいでいいねあの距離感。永遠に見ていたいわあの絡み。父と戦うというタイガの境遇にベリアルと自身の戦いを重ね合わせて語るリクがなんだか大人に見えた。タロウと独特な距離感を見せるギンガがかなり良かったし、爆炎の中から最強フォームで現れるみんながクール過ぎる。ついていけなくてあたふたしてた湊兄弟可愛かったし舞い降りてきた大天使グリージョさんで笑っちゃった。あれゼロが送迎してたとかない? あの空気感がR/B。主題歌の歌詞を用いてヒロユキを激励するのも、なんだかニュージェネらしいなって。ギャラファイでもやってたね。

こういう軽い感想を先に持ってくるものじゃないのか普通。言いたいことを先に書いた結果こうなりました。むしろ感想として相応しいのはこのゾーンなのかもしれない……タイガの総括を継ぎたかったから仕方のない部分は大きいんだけどね。というか面白かった良かったは他のブログでも読めるでしょ。悪かった部分の感想なんて読んでも意味ないじゃん。どうせなら俺の思想を覗いていけよ。

一人だけ決め台詞のテンポがおかしいリク、変身シーンで浮いてて面白かった。タロウは本気出すとルギエル倒しそうになるしちょっと手を抜いてくれ。光の国最強だもんな。ちゃっかり伝説のウルトラマン扱いされていたのはふふってなる。タロウは結構カジュアルに地球来るよ。なんならタロウの親父もサンタクロースに扮してクリスマスに遊びに来るよ。なんなんだあの親子。見よう見まねでダイナマイトできるタイガ、やっぱ君優等生だよね。ヒロユキもさりげなく燃えるんじゃないよ。タイガが正面から闇堕ちタロウを突破してくれたのが嬉しかったよ。文字通り父を超えたってことだからね。それはタイガ一人の力でなくてもいい。タイガが心から笑える環境にいることをタロウは喜んでくれることでしょう。

ウルトラマンのテーマを盛り込んだ戦闘シーンは楽しかったですねぇ。ジードクローの登場に興奮が隠せませんでした。タイガたちもトレギアと渡り合えるくらい強くなっていたので成長を肌で感じちゃった。随分長い間一緒に戦っていなかったのに巧みなコンビネーションを見せてくれたね、ずっと特訓していたのかもしれないと思うと健気。

ウルトラマンレイガも短いながら圧倒的な強さでグリムドを葬ってくれました。あのステージがラスボス専用に置き換えられる感じ、いいですよね。腕とか足が突然虚空から生えてくる敵が好きだし、それを軽々と超えていくレイガめちゃくちゃ良かったわ。

週替わりの映像特典もあるということで最初は湊兄弟とヒロユキ。このわちゃわちゃ感がたまらんのや。見る度に追記していくかもしれないししないかもしれない。というかこの映画観れば観るほど感想が溢れ出てくるので追記事項増えるかもかも。一度この記事読んでくれた人も暇ならたまにまた見に来てね。

f:id:guren_ex:20200809001545j:plain

これが新世代の築いた絆だ。

トレギアはその身を融かしてグリムドとなり敗北した。彼の生死など問題ではない。今後彼がもし生きていて再び暴れるようなことがあってもタイガたちはもう負けたりしないのだから。今書いてて思ったけどオーブリング掲げてオリジンに変身してるの、理屈としては間違ってないんだけどちょっと面白いね。タイガがタロウの息子というただそこに鎮座している真実を受け入れて戦った結果、かつてタロウが歩んだ道であるスーパーウルトラマンになったということの意味を今一度問いたい。仲間がいる。決して平坦な道ではなかっただろう。それぞれのウルトラマンに物語がある。暗い過去を乗り越えて光り輝く花道に辿り着いたんだ、俺たちにはそれを祝福する義務がある。そしてこの映画は祝福そのものだ。これからも彼らの物語は続いていく。増え続ける仲間たちは永遠の絆を紡いでいく……その美しさを見て俺はこう思う。「ウルトラマンを好きでよかった」と。何度思ったかわからない。覚えてない。それほどまでに優しい光でウルトラマンは俺たちを包んでくれるのだ。

ここまで読んでくれた人がどれだけいるのかわからないけど、敢えてここで聞いてみたい。貴方の『好き』は報われましたか? ウルトラマンを好きでよかったと思えましたか? もし俺と同じことを思った人がいるのだとしたら、それは限りなく奇跡に近い事象だ。その縁を大切にしよう。明日を生きよう。今を噛み締めよう。

蔓延する病気で気が滅入ってしまうよね。でも大丈夫、ウルトラマンは俺たちが願ったとき、必ず傍にいてくれる。それは怪獣であったっていい。トレギアやベリアルでもいい。それがフィクションの強さだ。繋がろうとする感情が既に崇高なんだ。

f:id:guren_ex:20200809003132p:plain

これが新時代のスーパーウルトラマン

俺はウルトラマンが好きなのでこうして拙い文を綴っている時間が幸福だったりする。てか好きでもなければ毎週書いてないよね。金になるわけでもないこの単語の羅列は、だがしかし俺の血肉にはなるのだ。こうして夢中になれるようなことがあって俺は幸せだ。グッズを買うために朝早く起きて列に並ぶのさえ楽しくて仕方ない。だからこうしてまた思うんだ。それはこの映画を見た最大にして最短の感想でもある。

 

ウルトラマンが好きでよかった。