何もかも、今に始まったことじゃない。

ウルトラマン好き。めっちゃ好き。

俺はウルトラマンが好きだ。

『劇場版仮面ライダージオウ Over Quartzer』を観た。

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おでこのライドウォッチだっさ

たったそれだけのことだが、まあ話を聞いてくれ。

記事のタイトルとは違って仮面ライダーの話をする。

俺は天邪鬼である。

この記事ではネタバレを当然のようにする。

あらすじは説明しない。

普段の六億倍くらい口が悪くなる。

感想だなんて高尚で崇高なものは期待しないでほしい。

これは感想じゃなくて感情だ。

 

俺はウルトラマンが好きだ。

正直に言ってウルトラマン以外は眼中にない。

 

当時、仮面ライダー龍騎を見た。クソがつくほどのガキだ、叩かれていることも知らずに龍騎が大好きになった。今でも一番好きなライダーは龍騎だ。それから暫くライダーは見なかったと思う。ディケイドを見た。その頃もクソガキだったし「かっけーーー」程度の認識でしかない。Wを見た。多分当時も好きだった。OOOを見た。コミカルで軽快なやりとりが好きだった。それ以降間が空いた。次に見たのが鎧武。シリアスなストーリー展開に惚れた。厨二ってやつだ。また間が空いた。そしてエグゼイド、ビルド、ジオウである。ビルドを見ている間にそれまでに見たことのなかった平成ライダーアマゾンプライムビデオで見始めた。ウルトラマン以外に興味がなかった俺にとって、最初はちょっと気になっただけだった。敵情視察なんていう誰に向けたのかわからない言い訳を掲げて見ていった。ウルトラマン以外のものを見るのに背徳を感じていたのかもしれない。クウガから見ればいいのに、先述の通り天邪鬼だった俺はキバから遡るように見始めた。今ではゴースト以外完走した。ゴーストまだ配信されてないんだから仕方ねぇだろ。Vシネだけ配信すんなよ。(追記、今日ゴースト見終わった。2020/05/28)もとよりプライムだってオーブの外伝、オリジンサーガのために加入したのだ。ネオライダー三部作も見た。アマゾンズも見た。昭和ライダーとBLACK RXは見ていない。わかってんだろ、俺はミーハーだ。

 

俺はウルトラマンが好きだ。他の物を愛したくない。

 

夏にやる仮面ライダーの映画、これまでの作品はリアルタイムで追っていなかったり、その気にならなかったりでなかなか観に行かない。というかこれまで一度も行ったことがなかった。全部配信で見てた。映画だとアギト、龍騎、カブト、Wがダントツで好き。なので、ジオウを観に行くのは相当なことであった。ジオウ本編に対してはいろんな意見をぶつけたと思う。OOO編は面白くなかったし、リュウガ編はめちゃくちゃ良かったし。そんな中でジオウのキャラクターが好きになったんだと思う。まあ、いい。

 

俺はウルトラマンが好きだ。他の物を愛したくなかった。

 

で、OQ。悔しいが面白かった。ハチャメチャに面白かった。鮮度が大事という話が結構Twitterで見られている。俺も同意する。けど、一度あの感覚を味わった俺は今後何度振り返ることがあっても色褪せないと思う。決して他人には勧められないけど。あの映画を一言で表すのなら『今』でしかない。『過去』でも『未来』でもなく『今』だ。時間を根底においた電王も結局は同じ結果に辿り着いたのであるが、重要なのは今だった。過去から学ぶことはあるだろう。未来へ繋ぐこともあるだろう。けれどそれを為すのは今でしかない。俺たちは今に縛り付けられている。平成は醜い時代であったらしい。学業で歴史について多少齧っている身としてはどの時代もクソみたいなものだった。醜いのは決して平成だけじゃない。旧石器も平安も江戸も昭和も、そしてきっと令和も汚くて仕方のない時代だ。だからクォーツァーという組織はこの映画のための舞台装置。俺は平成に生まれて平成を生きてきた。たった20年と少しだが、それでも汚らしい平成を生きたのだ。だからウォズが視聴者に向けて感謝を述べるシーンで少しだけ泣いてしまった。本当は怒っていた。ウルトラマン以外を愛したくなかったのに、ここまで傷を残したお前らを許さない、と。それと同時にその感謝は終わりを示していた。実際のところ令和が訪れても何も変わらない。H表記がRに変わった程度である。これからの作品にだって平成ライダーは客演するだろう。だから何も言わずにそっと終わらせりゃよかった。のに。わざわざ感謝しやがった。ふざけるな。俺に大きな愛を育ませておいてお前らは何処かに行ってしまうのか? この胸にある感情をどうすればいい。ウルトラマンに捧げられないこの愛をどう処理すればいいんだよ。だから、泣きながら吐きそうになっていた。眩暈もした。バールクスが言った。「平成ライダーが溢れてくる」。誰にも止められない個性が蠢いていた。

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敵ライダーかっこよかったぞ。

 

俺はウルトラマンが好きだ。その愛には絶対に及ばないが、仮面ライダーを好きになっていた。

 

他者の笑顔のために仮面の中で泣いた男がいた。

理不尽に巻き込まれて、それでもみんなの未来を守った男がいた。

戦いを止めるために苦悩し、欲と向き合った男がいた。

諦念を抱きながら人の心を失わずに戦った男がいた。

痛みを分かち合い、苦難の運命を背負った男がいた。

己を鍛え上げ、終わりのない浄化に身を捧げた男がいた。

自身を太陽と疑わず、総てを守る義務を課した男がいた。

出会いの中で誰より強くなった男がいた。

愛憎に揉まれ、それでも人の音楽に耳を傾けた男がいた。

何もない男がいた。

用意されたレールに振り回されても風を信じた男たちがいた。

その手で沢山のものを掴みとった、この世の誰より強欲で無欲な男がいた。

至上の愛で、誰とでもダチになった男がいた。

全てを奪われても人の希望であり続けた男がいた。

不条理に立ち向かい、最後までぶつかり合った男たちがいた。

ほんの少しの善意を信じて正義を貫いた男がいた。

人に無限の可能性を見い出し、命を燃やした男がいた。

命の価値を問いかけ、人に寄り添った男がいた。

愛と平和に惑い、人知れず愛と平和を守り抜いた男たちがいた。

全ての王となろうとした男がいた。

 

俺はウルトラマンが好きだ。仮面ライダーも、少しは好きだ。

 

木梨猛が言った。「俺は選ばれなかった。お前は選ばれた。お前には選ばれた者の義務がある」と。理不尽かよ。これを俺は視聴者の声だと解釈した。仮面ライダーに憧れてベルトを買ったって仮面ライダーにはなれない。残酷でもこれが事実だ。だからこそ、本物のヒーローに夢を託したいじゃねぇか。負けないでほしいって心から思うんじゃねぇか。そのためだったらどんな奇跡が起きたっていい。理屈なんか吹き飛ばしていい。あり得ないことがあり得ていい。

 

これはいつかウルトラマンの記事で使いたかった言葉だからここで使うのは誠に遺憾なのだが、言おう。現実は厳しくて非情である。理屈が通ってなければ何もできないし、努力でどうにもならないことだってある。金だって必要だ。そしてそんなこと製作陣が一番よく知っている。そんな人たちがヒーローの奇跡を描くのだ。予算に悩み、時間に苦しめられている人たちがその残酷さに打ち勝つヒーローを我々に与えてくれるのだ。これがどれだけの意味を持つのか考えてみてほしい。

 

仮面ライダーブレンが現れた。仮面ライダーGが現れた。仮面ライダー斬月カチドキアームズが現れた。ゴライダーが現れた。漫画版仮面ライダークウガが現れた。人はこれを祭りだとか春映画だとか言ったが俺はそう思わなかった。彼らの姿を通して、コンテンツに関わってきた俺自身が見えてきた。この映画は『今』でしかない。俺は仮面ライダーの今にどう関わってきたのだろう。金も落とさずバカみたいな批評をする実に迷惑なオタクだったに違いない。だけど、それでも『仮面ライダー』を見てきたんだ。ノリダーもブレンもGも舞台斬月も漫画クウガも見たことがない。それでも熱量は伝わってくる。クッッッッッッソ熱いのはよくわかる。もしかしてノリダーはギャグだったのかもしれないけど、俺にはありえないくらいの感動がぶつかってきた。パロディでしかなかった番組のコーナーが昇華したんだぞ。無断でパロディしてふざけてんだから選ばれてないとかほざくのはマジでクソ嘗めてると思うけど、それでも感動してしまった。平成ジェネレーションズの佐藤健に負けず劣らずの衝撃だった。嬉しかった。

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個性は絶対だ。何者も邪魔できない。

これが今だった。俺はこれを見てきたんだ。新参者でミーハーで口が悪くて天邪鬼で性格の悪いこの俺が、心から感謝したいと思ったのだ。感謝するのはウォズ、お前じゃない。死んだウォズに消えたゲイツツクヨミが帰ってきた理由なんてどうでもいい。それが平成仮面ライダーだというのならきっとそうなのだろう。だからまたいつか姿を見せてくれ。寂寥なんかその熱で焼き尽くしてくれ。灰も残さず俺の魂を燃やしてくれ。醜くたって生きていくよ。凸凹で何が悪いって、開き直るような感情で王様が肯定してくれたんだから。俺はウィザードがクソつまらなかったと思ってる。電王は面白かったけど神格化されるほどでもないと思ってる。555の最終回は苦手を通り越して嫌いだ。剣もそんなに面白くなかった。エグゼイドのデザイン未だに違和感あるしダサいと思ってる。カブトのストーリーを貶すオタクが嫌いだ。クウガとアギトの信者が目障りだ。だけど、でも! 

 

俺は仮面ライダーが好きだ。