何もかも、今に始まったことじゃない。

ウルトラマン好き。めっちゃ好き。

何を見て今何処で誰が誰と何を。

ちょっと話聞いて行けよ。

この記事は気分が乗れば追記すると思う。書きたいことが腐るほどあって、まだ全部言語化できてないから。親子の話をする。ウルトラマンで。好きだから。

 

タロウと父母だったり、レオ兄弟とアルス王だったり、ゼロとセブンだったり、ジードとベリアルだったり、湊一家だったり、タイガとタロウだったり。ウルトラマンは血縁関係が多く描かれてきた。親子とか家族とか一括りできないのは理由があったりして。例えば湊一家は家族だけど、ベリアルジードは親子であっても決して家族ではない。複雑なのだ。

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運命──覚悟を決めろ。

俺自身あまり良い親を持てなかった。ドメスティックなバイオレンスだったり酒狂いだったり凝り固まってしまった思考だったり。まあ、どうでもいい。俺が言いたいのは一方通行の感情もあるって話で、それも肯定されるということである。

 

セブンはゼロに素性を明かさずに生きてきた。母も父もなしに生きてきたゼロはもとより何かを失ったまま暮らしていた。アルス王はレオ兄弟に厳しく当たった。故に強くたくましい戦士となったし、優しき母の想いも継いでいる。ジードは特別複雑だから後述。湊一家はそういう意味ではかなり一般的な家族と言えるのかもしれない(母親が行方不明になっていたりするのだが)。

 

で、ベリアルジード。というか朝倉リク。

彼には複数の親がいる。

・遺伝子上の父、ウルトラマンベリアル

・名づけの親、朝倉錘

・育ての親、愛崎家の親

・形式上ジードを誕生させた親、伏井出ケイ

最高に複雑である。愛崎家に関しては本編内でほぼ触れられていないので語るのは難しいのだが、錘、ケイ、ベリアルは色々考察できたりする。誰より愛を持っていたのは錘であろう。リクを拾って早いうちに手放してしまったのに、その後十数年彼のことを思い続けた。仕事の一環として拾ったのに、妻と共に至上の愛を捧げたのだ。故に向けた言葉が「生きてくれ」。戦わなくたっていい。生きてくれればそれで。アイデンティティを失い全てがわからなくなったリクが『僕の名前』を知ることになった。

 

ウルトラマンなんかになれなくても、こんなところで錘さんを死なせたりしない」

 

そう、ウルトラマン『なんか』である。守るための力さえあればウルトラマンである必要すらない。愛だ。これまでは錘からの一方通行だった愛をリクが知り、その暖かさで誰よりも強くなった瞬間。ライハが守り抜いたゼロカプセルと錘の愛が形となった父カプセル。父親の力を背負ったのがジードだった。ウルトラマンジードの根本にあるのは『親殺しの物語』であった(だから作風は明るくなったんだとか)。ベリアルがジードに持つ感情は親が子に向けるものではない。ベリアルにとってのジードはまるで自身を映す鏡だったのではないだろうか。圧倒的な一方通行。父と共に戦い、キングに選ばれてしまったifの自分。許せないとか憎いとか、そういうものより先にきっと羨ましかったんだろう。そしてそんな自分は闇に溺れた自分の力をも抱き締めてロイヤルメガマスターとなるのだから、勝てるはずもなかった。

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『僕の名前』

最終回で触れ合う二人。俺がジードを『理解の物語』であると解釈したのはここに所以がある。ライハが呻き苦しむケイを認めたり、リクがベリアルの苦しみを理解したり。ベリアルを殺すだけならウルトラマンゼロで事足りるのだが、ベリアルを理解して赦してそのうえで殺せるのはある種ベリアル自身であるジードだけだった。これはジャグラスジャグラーにも言えるのだが、ただ許すことはありえない。断罪されてしかるべきだし、安易に改心させればいいというものではない。だからベリアルの結末としては『死』以外は考えられなかった。今のジードは光のベリアルなのだと俺は思う。ジードはベリアルの代わりにこれからも生きていく。どんなに拙くても醜くても弱くても生きて戦うことがベリアルの贖罪だから。

 

で、湊一家。イサミのために大学を諦めたカツミの話に個人的な思い辺りがあって見る度にキツくなる、泣きそうになる。コマ姐は母親のいない兄弟のためにしっかり向き合って、その想いがメカゴモラに囚われた際言葉になって兄弟に届けられた。イサミはそのプレッシャーに耐え切れず半ば暴走するような形でぶつかったのだった。カツミは少しズレている父やイサミを支えようと生粋の兄として自らを犠牲にし続けたし、イサミは母の背中を追うように生きていった。そして増えるアサヒという妹。思いやりが形になったのがルーブクリスタルだというのなら、アサヒは家族を繋ぐ愛の具現。ジードとは違い互いに通じ合う愛の形がR/Bの物語だった。

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船出の家族。

セブンゼロは額面通りの愛が描かれている。どんなに美しく表現されてもセブンは自らゼロから親を奪ってしまっているのでなんというか残酷である。一方通行の感情を無理矢理捻じ曲げて一周させたから輪になって繋がった感じ。一番歪んでるかもしれない。母親はどこに行ったんだろうね。

 

タロウタイガは大分綺麗な関係である。ウルトラ初の三世代キャラなのでまあこの時点で相当凄いんだけどね。ゼロと違って父親に対する態度が礼儀正しいので育ちはいいんだろうな、といったところ。先輩に向ける愛想もいいので人間関係は良好なんだと思う。父やタロウの栄光からくるプレッシャーや焦燥はそのうち乗り越えることでしょうし湊一家レベルに安泰です。が、母親はどこですか。

 

血縁関係というのは美しいものばかりではないことくらい誰だって知っている。辛い境遇にいる人間なんてごまんといる。俺は別にそんなことでマウントを取りたいわけじゃないし、ウルトラマンと深く向き合うことで気持ちよくなっているだけだ。人によっては現実逃避だとか言われるかもしれない。が、俺は今まで生きてきた。姑息な手段を使って戦ってきた。逃げたつもりなど毛頭ない。逃走こそが戦いを意味することだってある。仲のいい親子を見て羨むことはない。俺だってそれなりの付き合い方をしてきた。楽しいこともあった。笑えることもあった。というか笑えた時期の方が多いだろう。笑えるように俺は努力してきたから。俺は今いる状況に甘んじて文句を垂れるのが死ぬほど嫌いだった。嫌なことがあれば努力して解決した。自分を変えてでも楽しくなった。何が言いたいのかってのはつまりヤケになってこの記事を書いているわけではないということ。俺は現状に満足しているし飢えている。幾らだって上り詰めてみせる。まだやりたいことが山ほどあるから。

 

纏めようか。父の仇を討つためにやってきたメイツ星人や雪ん子を守ったウーもいた。50年を超える歴史の中で様々な血のつながりを描いたし、血の繋がらない家族だっている。同情したり憧れたり、画面の外でも色んな物語があるんだと思う。だからさ、たくさんの角度で見てみない? R/Bは血の繋がりがない家族を否定しているわけじゃないしタイガだってそう。ジードが言ってたよ「僕らはみんなでウルトラマンなんだ」って。ジードの話ばっかりしちゃった。まあいいか、どうでも。